仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)巨大さに驚き
関西圏に暮らし始めて早いもので、もう1年経ちました。
いずれ…、夫の定年後は地元岡山に帰る予定にしています。
それもあって、せっかく教科書に載っているような重要文化財やら超有名史跡やらに、すぐに行ける距離に住んでいるのだから、、行ける時を見つけては、行きたいところ、見たいところに行っておこう~と夫婦で話しています。
で、今回は、、
かの有名な「仁徳天皇陵」に行ってきました。
私たち世代は「我が国最大の前方後円墳『仁徳天皇陵』」でおなじみですが、娘たち平成生まれの世代は「大仙(山)古墳」と習うようで「仁徳天皇陵」に行ってきたと娘に言うと「あぁ大仙古墳ね~。」と言っていました。歴史も時代とともに変わっていくのだな~と実感します。
カーナビの案内で、車で行ってきました。尼崎市内から堺市堺区大仙町までおよそ28kmしかないんですね。めちゃ近い~っ!!
快晴でとても気持ち良かったです。
でも…あのぅ…古墳ってどこにありますのん???
小高い丘?低めの山?
…のようにしか見えないんですけど。。
この緑豊かなこんもりした丘、全体が古墳なんですね。
不思議ですが、厳かな空気を感じました。
それにしても、でっかぁーーっっ!!
あぁ、そうだわね、さすが日本最大!
あははっ♪
頭で、想像してたのとは、スケールが違い過ぎましたーーっ(笑)。
実物を見るまで、教科書の写真のような前方後円墳の形ばかり、頭に浮かんでいました。
が、そりゃそうですわ!真横から…っちゅーか、どっちかと言うと下から見上げて、古墳を見ているわけで、上空から見下ろすわけではないのです。。
あの、見慣れた前方後円墳の形に見えるわけがない!!
以前、岡山市にある「造山古墳」に行った時にも小さい丘にしか見えなかったことを思い出しました(笑…規模がだいぶ違いますが)。
仁徳天皇陵は、宮内庁が管理しているそうで、中に立ち入ることはできませんでしたが、ボランティアのガイドの方に、興味深いお話を聞くことができました。
古墳が造られた当時は、このように樹木が植えられていたわけではなく、土の地肌がむき出しだったそうです。すぐ近くに、石製の模型↓がありました。緑でなかったということは、見た目はこの模型のイメージに近かったのかな。
あと…無知な私は「前方後円の形をもっと上から見れるようにすればいいのに。上から見てみたいなー。」とガイドさんに話しかけたところ、「そういう意見も確かにあるけど、天皇陵を上から見下ろすのはいかがなものかという意見もあるので、実現していないんですよ。」と教えてくださいました。あぁなるほどなるほど…。
ガイドさんに、隣にある堺市博物館をすすめられたので、行ってみました。
いろんな展示があったんですが、一番興味深かったのは上の写真の展示です。これは、仁徳天皇陵とクフ王のピラミッドと、秦の始皇帝陵の大きさや規模の比較模型。面積だけじゃなく、高さだけでもなく、容積まで一目瞭然です。ピラミッドよりもかなり大きいということを知りませんでした。
せっかくなので、もう一箇所、前方後円墳に行ってみようということになり、2番目に大きな応神天皇陵にも行ってみました。
誉田山古墳(こんだやまこふん)とも呼ばれているそうですが、昭和世代にはやっぱ天皇陵というのがしっくりきますね。
やはり、立ち入り禁止。。ここは、カーナビでもなかなか辿り着けず、ちょっと苦労しました。なんか、わざとわかりにくくしているかのようにも感じました。仁徳天皇陵よりもひっそりとしているからか?より厳かな雰囲気に包まれていました。
歴史に触れることができた、ちょこっと旅、満足満足♪